レディ・ジョーカー

丸の内TOEI1で『レディ・ジョーカー』を観る。
本年初の映画鑑賞ということで、襟を正して(?)スクリーンに見入っていたのだが・・・
エンド・クレジットが出たところで、「ん?????」と、頭が105°ぐらい傾くほど悩んでしまった。
ある巨大企業のトップ誘拐を試みる「レディ・ジョーカー」と、事件の調査にあたる警察、更には企業内部に拡がる不穏な動きを、各個人と彼らが属する集団との対比の中に描いている・・・のだが、次々に登場する人物達の内面描写がほとんどないのだ。意図的に省いているのでは?と思えるほど、何もない。
それぞれの人物の行動規範となるバックグラウンドがまるで不明なため、それぞれがどんな思いを抱え、どのような矜持を保たんとしているのか、徹頭徹尾サッパリ分からない。
そこで気付いたのだが、この映画から受ける印象は、新聞の三面記事を読むときのそれに近い。
三面記事の短い文章の裏側には、事件に関わった数多くの人間達の人生や思いがあるはずだが、記事ではそういった枝葉末節はきれいに削がれ、表面的に「起きた事実」だけが淡々と記される。
だとすればこの映画、三面記事ならぬ「三面映画」を目指したのではないか。どうせ分厚い原作に描かれた人間模様を2時間に凝縮することは出来ない。それならば、とばかりに、心理描写を思い切って省いてしまったのでは?
原作は未読だし、この見方が正しいのか間違っているのかは分からない。が、いずれにしてもその結果完成した映画が面白いかというと・・・

2.7

鑑賞メモ

丸の内TOEI1

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