ロング・エンゲージメント

ロング・エンゲージメント
銀座マリオンにて『ロング・エンゲージメント』試写(1/17)。公開は春とのこと。
監督ジャン=ピエール・ジュネ、主演オドレイ・トトゥとくれば、映画ファンなら誰もがこの2人がタッグを組んだ『アメリ』を思い出すだろう。
ピリッと辛いスパイスを隠し含んだ綿菓子のような味わい。現実から数センチ、地を離れているかのような浮揚感。そんな『アメリ』の世界の再来を待ち望んだ観客は本作を一見して、その期待を大いに裏切られるに違いない。

舞台は第一次大戦下のフランス。
ドイツ軍との激しい戦闘が行われている最前線で、今まさに処刑されようとしている5人のフランス兵。彼らは、戦場からの送還を狙って故意に負傷した罪で連行された者達だ。
結婚を間近に控えたマネクを含む5人は、ドイツ軍と相対する戦場の真中に置き去りにされる。それが、彼らが目撃された最後の姿だった。
戦争が終わり平和が戻っても、マネクの婚約者マチルドのもとには、彼は処刑により死亡したとの便りが届いただけ。
「彼に何かあれば、わたしが何かを感じるに違いない」
二人の固い結びつきを信じるマチルドは、5人のかつての戦友や上官達のその後の行方を追い続け、彼らの証言を得て真相に近づいていく。果たしてマネクは生きているのだろうか?

全篇を通じてこの映画では、マチルドが当時を知る者から証言を得ていく過程で、事件の発端である戦場の場面がフラッシュバックで描き出されている。「期待を裏切られる」と書いたのは、この戦場の描写がかなり強烈だからだ。
飛び交う銃弾が耳をつんざかんばかりの音を上げる。ドイツ軍の大砲から発射された砲弾が、逃げ場もないほど雨あられと落ちてくる。爆風で大量の砂が舞い上げられ、視界を覆い隠す。灰色がかった暗い色合いで映し出される戦闘シーンには、身震いするほど真に迫った恐ろしさがある。
ジュネ監督がこれまでの作品で創出してきたような、ある種の「美しさ」さえ見出すことが容易な悪夢の世界は、この映画には無い。あるのは「最前線」という名の、現実世界における悪夢そのものなのだ。

とはいえ、主人公マチルドのエピソードを中心として、観る者に『アメリ』を思い出させるような表現は顕在。時にいたずらっ子のようにおどけてみせ、自分の中にだけ通じる「おまじない」を持つマチルドの様子には、どうしてもアメリのキャラクターが重なってみえる。その他、マチルドの生い立ちを紹介するシーンなど、『アメリ』との共通項を探すことは容易だ。
『アメリ』の背景となっていたのは、空想好きのアメリが、現実をねじまげて作り出した不思議な世界だった。それは言ってみれば、アメリの強烈な「主観」によって形作られた世界だ。そして本作でその「主観」は、恋人の生存を一途に信じ続けるマチルドの強い意志へと変化を遂げ、引き継がれている。
一方、マチルドが真実を知る人々を訪ね歩いていくプロセスは、自分以外の人物が知る事実を丹念に調査し、それを確認していくという「客観」の積み重ねだ。
ジュネ監督は、客観によって真実を導き出すミステリー風の物語の中心に、アメリのように人一倍強いマチルドの主観を置くことで、不思議な妙味を生み出そうとしたのではないだろうか。

しかしその効果のほどはというと、ぼくには今ひとつピンと来なかった。「5人の最後に隠された真実は?」という謎を解き明かす複雑な展開の中に、マチルドの「主観」が埋もれてしまっているような気がする。マチルドの強い意志を示す場面がもう1つ2つあれば、また違った印象になったかも知れないが...
あまりにも暗く壮絶な戦場の場面と対比するように、黄金色がかった色合いで描かれるブルターニュ地方の田園風景は、見事なまでに美しい。マチルドが住む家屋のたたずまいも、絵画の中から抜け出してきたかのような味わい。こうした景観を楽しむだけでも、充分に観る価値があるのではないかと思う。

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鑑賞メモ

丸の内ピカデリー1(試写)

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