大林宣彦監督の作品を劇場で観るのは『あの、夏の日』以来なので、およそ5年振りということになる。
今回は、ルポタージュ形式で書かれた宮部みゆきの原作を映画化。小説は未読だが、想像では、かなり原作のテイストに近い仕上がりになってるんじゃないだろうか。
もともとはWOWOWのドラマとして企画が練られ、製作を進めるうち、次第に劇場作品としての公開が意識されるようになったとのこと。
ぼくは大林作品のファンなので甘くなってしまうということもあるが、そうした点を除いてもこの映画はかなり良い出来映えだと思う。2時間40分と長尺にも関わらず、テンポの良い語り口で最後まで興味を持続させたまま、飽きることなく観せている。
大林組総出演といった感のあるキャストは100人超。根岸季衣や小林聡美、入江若葉のように常連の顔が見えるのも嬉しい(尾美としのりがいないのは寂しいのだが)。これだけ登場人物が多いにもかかわらず観終えた後、一人一人の役柄と位置関係をすんなりと思い起こすことができるのは拍手ものだろう。中でも容疑者(勝野洋)の母親を演じた南田洋子が印象に残る。
陰惨な、しかし奇妙な殺人事件の現場となった高層マンションは、イーストタワーとウエストタワー、2つの棟からなる。バブル経済の最中に生まれ、周囲の家並を見下ろすように天高くそびえ建つその姿はまるで、かの9.11で倒壊したN.Y.のツインタワーのようだ。
一方で、事件に関わりを持つことになった人々が暮らす家々は、昭和3-40年代風のセットにあつらえられている。どこか時に取り残されたような木造平屋の住民達にとって、高層マンションは、「いつかあそこに辿り着いてやる」ともがく、裕福さのシンボルのようなものだ。
そして、その執念にも近い思いが渦巻く中に、悲劇の芽が息吹いている。
不謹慎な見方かも知れないけれど、この映画における殺人事件は、民衆の底暗い思いがタワーに風穴を開けるテロ行為の隠喩、そんな淀んだ考えが頭から離れなかった。
江東区の川沿いで簡易宿泊所を経営している柄本明が、貸し部屋の窓を少し開けるシーンがある。とたんに、薄暗い室内とは対照的な光が差込み、明るく切り取られた空間の中、青い川の上を貨物船がゆっくりと横切っていく。
この川が、室内の人物の目線と同じ高さに見えるのは、このあたりがゼロメートル地帯であることを考慮してのことか。何でもないシーンなのだが、ここで涙が出てしまった。
陰鬱とした物語が辿り着くラストには、意外にもファンタジックなシーンが用意されている。なるほど、殺人事件さえも、一種のファンタジーであるかのように拵えてしまうこの貪欲さこそ大林監督の持ち味、案外きれいにまとまったなあ…などとボンヤリ考えていたら、やってくれました、エンディング・テーマ!思わず笑ってしまった。
この妙にギトギト・ネバネバした湿性こそが大林監督の真骨頂だと思う。ダメな人はとことんダメだろうが、そのギトギトしたところが好きなぼくは、久々の大林節に大いに酔った。満足満足。
鑑賞メモ
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