ネバーランド

ネバーランド
ディズニーのアニメ映画で世界的に知られることになった『ピーター・パン』。もともと戯曲として発表されたこの物語は、20世紀初頭、イギリスの劇作家、ジェームズ・バリによって書かれた。それまでとは全く異なる作風に、驚きと賞賛を持って迎えられたこの作品の誕生には、ある家族とバリとの心の交流が関わっていて…。

ぼくが一番この映画で感心したのは美術。バリの住まいの様子や、劇場の佇まい、街並みなど、そこかしこに見られる当時のイギリスの風景と市民の生活感が、迫ってくるほどの真実味を帯びている。
特にバリが子供達と遊ぶ公園の、目にも鮮やかな緑は素晴らしい。こういう美しい景観を持つイギリスの風土が、ピーター・パンの存在を信じられる精神的な土壌にも繋がっていたんだろうなあ…。
とても良くできた映画だと思うし、泣ける要素も様々ある。でもぼくはこの映画にどうも感動できなかった。どうも優等生的な作りもその理由の一つだが、その優等生的な振る舞いの中に、現実の種々の問題を上手く収めてしまおうという企図が感じられるからだ。
たとえばバリと、ピーターの母親との関係。これはどう見ても、バリ自身に妻がいる上での逢瀬に他ならないわけで、そこを現代的な視点で捉えて、さほど掘り下げずにむしろ美化してしまうのはどうなのか。もちろん映画の主題は一家との関係にあるので、そこを強調すると別のトーンになってしまうというのは分かるのだが…。

現実のある局面から目をそむけて、別の美点だけを捉えようとする姿勢は、邦題と同じマイケル・ジャクソンの楽園の世界、独善的な世界へと繋がっていく…と思うのは、勘繰りすぎる見方だろうか。

3.2

鑑賞メモ

新宿スカラ座3

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