16歳で妊娠してしまった女の子ジュノが、子供の里親探しを通じて周囲の人々とともに巻き起こした事件の顛末を描いたコメディ。とは言ってもスラップスティックな喜劇ではなく、ガジェットの多用やコミックのような描写に見られるように、オフビート色の強い味付けをほどこした一品となっている。
魅力の一つは、ジュノが放つ生き生きとした台詞。周囲に対して毒づく様子にイヤミが無く、自虐的でありながら、ことさらにシニカルというわけでもない。映画に登場するこうしたティーンの軽口は「悪口」で笑いを得ようとすることが多いけれど、ジュノの軽口は口をついて出る挨拶程度に自然な振る舞いであって、他人を傷つける方へと向くことがないのが優秀。
その台詞を含む脚本を手がけたのは、これがデビュー作となるディアブロ・コディ。ブログライターから脚本家デビューを果たし、アカデミー賞まで得てしまった彼女のサクセスストーリーに注目が集まっている作品ではあるが、ぼくが面白かったのは、先の台詞と登場人物に命を吹き込んだ役者陣の上手さだった。
それにしても、これほどまで女性だけに焦点を絞って作られた映画には、ここしばらくお目にかかった事がない。どこか中途半端でぼんやりした造形の男性キャラクターに比べて、生き生きと活写される女性陣のまばゆさにどうしても目を奪われてしまう。
ここまで女性視点が貫かれていると、男としてその事実を自然に受け容れるだけの器があるのかどうかが問われているようで、観ている男性の一人としては、どこか面映ゆい心持ちに陥ってしまったのも事実だ。
こうした内容の映画が1億ドルを超える興行収入を上げたのは、ティーンエイジャーからの支持もあったのだろうけど、むしろ社会的なマイノリティーが受け容れたということなのかなと思う。ごく普通の(?)サブカル少女が、ふとしたきっかけで理想の上流ヤッピー夫婦と交流を持ち、しかも臆さない態度で接していく…80年代ならこのプロットを元に、社会的地位の逆転を軸にした痛快で派手なコメディーに仕上げてしまうところだが、ヤッピーも不安とコンプレックスを抱えて生きている21世紀には、苦い味のコメディとならざるを得なかった。そんな「身の丈にあった」現代の切り取り方にこそ、アメリカ人は魅力を感じたのかもしれない。
してみると、経済的な格差が浸透しつつあるとはいえ、根本のところで「みんな一緒」の気運が強い日本では、それほどのヒットにならなかったということにも肯ける…というのは考えすぎだろうか。
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