たしか小林信彦氏だったと思うけど、
「映画館で観る映画はハードカバー、DVDは文庫本、この2つは全く別のもの。だから文庫本は”映画”を観ようと気構えるのではなく、気軽に観られるものとして割り切ったほうが良い」
こんな内容をどこかで書かれていたように記憶している。
ぼく自身、ある時期まではあくまでもハードカバーにこだわり続けていて、文庫本はできるだけ避け、スクリーンで映画を観るこだわりを貫き通したい…なんて気持でいた。
とはいえ仕事も年を追うごとに忙しくなってくるし、そうなれば休日に観られる本数も少なくなるわけで、時間が許さなくなってからはこの言葉を思い出し、毎日細切れでも良いので観ることにしている。
ところが時々、どうしてもハードカバーを渇望してしまうこともある。
たとえば先日DVDで観た『ストロベリーショートケイクス』。このDVD、なぜか音声の出力レベルが異常に小さい…ように思える。
もともとあまり耳が良くないことと、夜に観ることが多いためにヘッドホンをよく使っているのだけど、TVのボリュームレベルを”50″ぐらいにまで上げても、登場人物が時折つぶやくように喋っている台詞が良く聴き取れない。こうなると「映画館ではいったいどうだったのか?」が気になってくる。わざと聞こえるか聞こえないかの音量が製作者の意図だったのか。台詞の内容にはそれほど意味がなくて、それが音として日常に埋もれていくということが大事なのだというメッセージなのか。それともこうした考えは曲解で、DVD制作上だけのことなのか…
そもそも映画館にしたって劇場ごとに音響システムなどまちまちだと分かってはいつつ、でもやっぱりこういう事実関係の確認は、映画館で観てみないことには永遠に分からない。やっぱり映画は映画館で観てこそ…と思ってしまうのだ。
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