またまただいぶ間が空いてしまい、気が付けばもう世間はクリストマスとかいう派手なイベントに盛り上がりを見せる季節となった。
そんなときに、先月初めに観た芝居の話というのもだいぶ間が抜けているように思えるが、きらびやかな季節感にまるで欠けているのも自分らしく、これはこれでよいのかもしれないななどと思いつつ。
本谷有希子パルコ劇場初登壇となった本作は、自分が極限までに肥大して、全能感を惜しげもなく晒しまくる一人の女と、その毒に当てられながらもわずかばかりの強さを身につけていく家族の話。女の毒に当てられた家族の「タガ」が緩み、ほんのわずかなひび割れから散り散りに裂けていく中で、その裂け目に手を突っ込み拡げ続ける女の高笑いは、いつしか悲鳴のような色を帯びていく。
キーパーソンとなる女を演じる永作博美の役回りは、いわゆるトリックスターに近い。しかし現代の日本を舞台としたこの芝居の中では、トリックスターとて一個の人間である。女の万能感と個との隙間に、そこはかとない悲哀が混じり込む。
本谷有希子の芝居はここ数作連続して観ているけれど、表現が一作ごとにどんどんダイレクトになっていく。パンパンに膨らんだ自意識というモチーフが市民権を得て、リアルな存在として認められたことによる自信の表われなんだろうか。
観客が精神的な「大人」の部分を保ち続けようと意識的な人であればあるほど、好かれることのない芝居だと思う。それを面白がっている自分はいったいどういうことなのだろう…。主人公の無差別な攻撃にカタルシスを感じスカっとした気分を味わえてしまうのは、ふだんの日常生活が欲求不満気味だというサインなのかも知れない。
それにしても役者陣が上手いこと!広岡由里子の、どことなく空とぼけているけれども隙の無いた立ち居振舞いや、息継ぎを感じさせない台詞回しやなど、ホレボレうっとりするほど。
ざらつくような、ヒリヒリするような、精神的な針のムシロのような痛々しい場面でありながら、どこか外れた雰囲気が醸しだされ笑い事になってしまうのは、ああした微妙に心地良い台詞回しがあってのことなのだろうかなあ。
鑑賞メモ
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