劇場版『名探偵コナン 隻眼の残像』

すっかり毎年の公開と大ヒットが約束されている、名探偵コナンの劇場版シリーズ第28作目。
名探偵コナンは、原作漫画のサンデー連載時に読んだことがある程度。恥ずかしながら、これだけ話題のシリーズを長い間観た経験がなく、前々作の『黒鉄の魚影』を初めて劇場で観たという・・・勉強不足もいいところですみません。
アニメーションならではの飛躍に富んだアクションシーンを見せ場に、コナンシリーズらしい謎解き要素を加えて、スケールの大きい劇場版アニメーション作を制作するのは、並大抵のことでは無いだろうな、と、つくづく恐れ入る。このクオリティのシリーズ作品が、毎年、定期的に必ず観られるというのは、世界的に見ても、稀有なことではないかなと思う。

それでも見ているうちに、どうしても気になってしまう部分というものはあるもので、一度気になりだすと、どうしてもそのことが気になり、物語に入り込めなくなってくる。
そうした「気になりかた」には大きく分けて2つの種類がある。
「観賞後に思い返して気になり始める」パターンと、「観ている最中から気になってしまう」パターン。
今作では、それぞれ1つずつ、気になったことがあった(それ以外にもあるが、最も心に残るものを挙げる)。

<「思い返して気になり始める」>
こうしたシリーズもの、特に長期に渡って愛されている作品では、どんどんとファンにとってお馴染みのキャラクターが増えていく。それら数多くのキャラクターを勢揃いさせる必要があるのは、主にファンへの目配せとして、必要不可欠であることは理解しているつもり。今作は、過去に起きた事件も関わっているという背景を持たせてもいて、そのことが多くの人物が登場する要因にもなっているのだろう。
ただ・・・いくらなんでも、登場人数が多すぎやしないだろうか?そのためか、どうにも、人物造形と配置に、交通整理が行き届いていない印象を受けてしまう。最後まで見ても、作中でどういう機能を果たしているのか、ちょっとわからない人物もいて、キャラ無駄使いの様相を呈してもいるように思える。
また、クライマックスの謎解き場面で、いろいろなキャラクターが代わるがわる、謎の答えを口々に話すような演出があり、これにもちょっと違和感を覚える。見せ場づくりのためなのだろうけれど、今までまったく不可解な謎の渦中に居た人物たちが、さも知っていたのかのような口ぶりで謎明かしに参加するのを見ると、ちょっとそれはおかしいのでは?と醒めてしまう感じがする。

<「観ている最中から気になってしまう」>
クライマックスでは、犯人を追い詰めるために、とある道具が利用される。それはそれで良いのだが、前半でその道具の効用や限界について、もうちょっと丁寧に解説しておくべきだったのではないか。何がどこまで出来て、何ができないのかを観客にあらかじめ伝えておけば、クライマックスシーンのハラハラ感が増したように思える。
ただこれはちょっと穿った見方かもしれないが、この道具の使い方が、実際にはあり得ないほど現実からかけ離れているので、あえて機能的な説明をしたのかもしれない。映画は嘘を付く、それはそれで良いのかもしれない。が、それならそれで、もうちょっと上手く嘘を付いて欲しかったなあ、というのが正直なところ。

いずれにしても、こうした連続作は、一度観てしまうと続きが気になるもので、それこそが連続作の楽しみ方、醍醐味と言って良いのだろう。また次作も観にいくことになるのかな。

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