松田龍平と広末涼子の主演映画『恋愛寫眞』をベースに、市川拓司がアナザー・ストーリーを書き綴った小説の映画化。こういう形での二次利用というのは、どうなのだろう…オリジナリティがどうこうという話は別として、映画がもたらす感動効果という意味ではどうなのか。
『恋愛寫眞』を知っている観客には最初からあらすじが見えてしまっているわけで、その上で感動を呼び起こさなければならないのは一種のチャレンジであるかもしれない。逆に一方では「既に知っている」という思いを呼び起こすことが容易であるわけで、この既視感にも似た思いは親近感に繋がり、感動に繋がり易いとも言える。一体どちらの効果が高いのか…。
この映画の見所が何かと尋ねられたら、それはもう、宮崎あおいを観てくださいとしか言いようがない。『恋愛寫眞』では風変わりだがミステリアスな雰囲気も持つ「女性」であった静流(しずる)は、この映画では幼さばかりが目立つ「女の子」として登場する。
「メガネをかけた風変わりな女の子だが、実は美少女」という、古典的に過ぎてもはや利用されることのないシチュエーションを、現代の実写映画で現実のものとしてしまう宮崎あおいの底力。この現実離れしたキャラクターを生き生きと、嫌み無く演じられるのはこの人を置いて他には無いだろう。
とはいえ、映画そのものがその少女性の純度に寄り掛かっている部分が多すぎるような気がしてならない。甘酸っぱいファンタジーのような恋愛映画であるとは言え、その甘さから一歩引いた形で、映画そのものをギュッと引き締める題材があまり見受けられないのだ。
だからこの映画を楽しめるかどうかは、極度に純度の高められた世界にどう反応するかにかかるのだろう。ぼくはこうした世界が決して嫌いではないのだが、”現実に対して目の肥えている”多くの観客にとってはどうなのか?
物語に目を移せば特に後段、一足飛びに話を進めすぎてしまう慌ただしさはあるけれども、そうしたマイナスの要素を、二人の関係をじっくりと描く前段が良く補完していてバランスは良いと思う。
静流と不思議な関係を持つ大学生、誠人(まこと)が、静流に対する思いに気付く心情をサラリと描いているのも好感が持てる。この玉木宏という男優をぼくはそれほど観たことがないのだが、情けなく笑う顔が役柄とマッチしていてなかなかの好演。この役を演じるにしてはやや美男子すぎるかもしれないが、「等身大の男の子」と違和感なく目に映る時点で成功していると言って良いのだろう。
しかしこういう役柄を演じてしまうと、ある意味で宮崎あおいの将来が心配になってしまう。少女という殻が強すぎて、大人の女優に脱皮できなくなってしまった女優は少なく無いはずだ。そうした役に取り組みながら、一方でどのように殻を破ろうとしていくのか、それがちょっと楽しみではある。
鑑賞メモ
丸の内TOEI
コメント
言葉の意味
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広末涼子 流出画像
うつくしい、広末涼子の人気の秘密はそれだけではないです。個性的、最高じゃないですか。広末涼子の出ているCMは何度でも見てしまいます。才能の泉、広末涼子っす。やっぱり広末涼子はテレビ番組の中でも輝いていますね~。広末涼子の演技力にくらくらっす見ればすぐに納得。見れば納得、広末涼子っす。インターネットの画像がオアシスです。見つかるほどに深まる思い。へんなやつだって言わないで。今日も読んでくれてありがとうございます。
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宮崎あおいちゃんのCM とても新鮮で綺麗な映像ですね。