スカイ・クロラ

スカイ・クロラ
一見して強く印象に残るのは、何とも形容しがたい空の青と、白い雲の美しさ。濃淡と陰影を孕み質感をともなった、単なる背景というだけでなく”もう一つの主役”と言っても良いほどの青空。
どちらかといえば暗い夜の街、それも闇の底のような世界を描いていた押井監督のこれまでを知っているために、この青空がより鮮やかな色合いを帯びて見えるのかも知れない。

成長を止め、大人になることなく、戦闘パイロットとしての生を全うする存在「キルドレ」。劇中に登場する周囲の大人達が、彼らキルドレに対して取っている「距離感」が興味深い。
キルドレ達の行き着く先は、若いままに永遠の中を彷徨う生か、もしくは、戦闘の中で散りゆく死のいずれかしかない。であるならば彼らがどちらの行く末を歩んだとしても、大人達はキルドレと”共に生きる”ことはできないのだ。
つまりこの適度な「距離感」は、キルドレという存在の設定から見れば、非常にリアルであるということだ。

宮崎駿は、大人達に守られるべき存在に止まらない子供達の成長を描く『千と千尋の神隠し』を経て、成長機会としての「庇護された冒険」を良しとする『崖の上のポニョ』へと歩を進めた。
一方で押井守はと言えば、成長にまつわる現在進行形のリアルな問題を何とかせずにはいられない、どうにかしなければならないという切実な思いを吐露しているように思える。
SFを題材とすることの多い作家にこんな言い方がふさわしいかどうか分からないのだけど、芯からリアリストなのだと思う。

永遠のループに囚われ続ける運命を生きるキルドレの物語は、これまでの押井作品に見出された「終わらない物語」を思い起こさずにはいられない。
しかしたとえば『ビューティフル・ドリーマー』では、そのループ構造から抜け出すことそのものが最終目的であったように思えるのに対し、本作のキルドレ達は、自分の生きるべき世界を見出したことで、繰り返される円環の鎖を断ち切ろうとする。
明日はまた同じ日々を繰り返すことになろうとも、空に伸ばした翼で宙を掻き、自らの正を生き抜くことに自尊を持って今日を進み行く。
リアルな世界に対する透徹な態度を貫き続け、まっすぐに見据える視線の先には一体何があるのだろうか?

3.6

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