ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング

いよいよ最終作を迎えることとなった、『ミッション:インポッシブル』シリーズの第8作。前作である『デッドレコニング PART ONE』の後編にあたる位置付けだ。
思えば、1996年にブライアン・デ・パルマ(当時を思い返すと、この意外性にもちょっとびっくりさせられた)の手による第一作を、今は無き、大スクリーンの劇場だった日比谷スカラ座で鑑賞した時点では、まさかこんなに長いシリーズになるとは全く予測していなかったし、トム・クルーズのキャリアの中の30年を貫く主要作品になるとも考えられなかったなあ・・・

とにかく、命を賭けて観客を毎回楽しませることに注力してきたトム・クルーズと製作陣が、イーサン・ハントとの長旅の末路としてどのような結末を持ってくるのか。また、体を張ることでシリーズを盛り上げてきた彼が、最終作ではどんなアクションシーンに挑戦するのか。いろいろと興味の尽きない本作ではあった。
(ちなみに前作の原題が”Dead Reckoning:Part One”であったのに、今作がパート2ではなくて”The Final Reckoning”になったのがどういった経緯だったのか、興味を惹かれる)

それで、結果はどうだったかというと・・・自分としては、全体を通しての印象は「まずまず・・・」といったところ。
前半はやや冗長に感じられるが、これは仕方がないところかな、と思わされる。2時間49分という長尺では、見せ場を後半に持ってこようと思うと、ドラマ部分を前半で描かざるを得ないだろう。しかも、前作から続き、シリーズとしての最終局面を迎える、悩めるイーサンの「心の旅路」にも決着をつけなければならないとすれば、なおさらだ。
また、注目のアクションシーンについては、斬新なアイデアやその危険性に瞠目させられる、というところまでは、残念ながら達しなかったように思う。身体の張り方としてはある意味、前作以上のものがあるものの、どことなく「どこかで観た」ような、アクションシーンとしての既視感は否めない。
しかし改めて気付かされるのは・・・トム・クルーズが自分で危険なスタントシーンを演じているという認識が観客に浸透していて、そのためイーサンを応援するというよりは、トム・クルーズの無事を祈って応援する気持ちが強くなり、それによってハラハラ度が何割か増しているように思う。これはなかなか面白い効果だ。

こうしたシリーズ作品といえば大抵、最終作が尻つぼみに終わり、モヤモヤが残りながら終了していくケースがほとんどだと思うが、今作はそうはならなかったと思う。そこそこ楽しめはするわけで、だからこの堂々たる退場を、黙って拍手して終わりたくなる気持もあるのだが・・・
一方で、自分の中でどうしても見逃せない部分が2つあって、そのため手放しで喜べなかった、というのが正直なところだ。

<悪役の目的が不明>
これは前編である『PART ONE』から孕んでいた問題で、だから結局、この後編でも解消されなかったということになるのだが・・・
『デッドレコニング』前後編の敵役は、”エンティティ”と銘された巨大なAIシステムと、そのエンティティを制御し支配下に置こうと画策するガブリエル、この両者が担っている。しかしながら、この両者が両者とも、AIの持つ強大な力を使い一体何を成そうとしているのか、その目的がさっぱりわからない。
エンティティは、各国が保有する核発射装置を制御下に治め、大国同士を逃げ場の無い戦闘状態へと導こうとするのだが、ではエンティティが一体なぜそれをするのか、その目的は?というと、これがはっきりしていない。劇中の登場人物によって、推測レベルで語られるシーンもあるにはあるが、「力を得たものは神になりたがる」のような、フワッとした物言いに帰結してしまっている。
また一方のガブリエルも、エンティティの力を自身の手で治めようとしていることはわかるのだが、では治めた上で何をしようとしているのか、ということになると、これもまたよくわからない。
全世界を統治し支配欲を満たすためなのか、莫大な富を得るためのステップなのか、はたまた混乱を生み出す愉快犯なのか。彼の目指すところが不明であるため、その彼がエンティティの力を手にすることがどれほど危機的な状況なのか、観ているこちらにはピンとこないのだ。

 なんというか、「危機的状態」だけを無理に作り出してサスペンスを生み、その結果どういうことが起きるのかを説明せず、放り投げてしまっているようなシナリオである点が、デッドレコニング前後編の物語に共通する最大の弱点であるように思う。

<イーサン・ハントと世界との対峙の決着>
TVドラマ「スパイ大作戦」に端を発するこの『ミッション:インポッシブル』は、もともとは「高度なスキルを持つメンバーがそれぞれの力を生かして協力するチームアクション」の妙を楽しむシリーズであった。
 それが、トム・クルーズというスーパースターが主人公にキャスティングされたこともあり、シリーズが進むごとにイーサン・ハントの比重が大きくなっていった。それにつれて、シリーズのドラマ部分を牽引する主軸が、イーサンという一人の人間の持つ悩み、つまり、彼自身が世界の危機的状況を回避しようとするとき、その行動が、身の回りの仲間たちや、世界の市井の人々にとってどれほど価値を持っているのか?彼以外の世界にとってどれほど意味のある活動なのか?という、いわば内向的な悩みとなっていった。
 当然、チームアクションを楽しもうとしていた向きには不満もあったのだろうけど、ぼくとしては、「世界や他者との関わりを感じながら自省し続ける諜報部員」という人物像がちょっと新しい気もして、彼の苦悩が最終的にどこに辿り着くのか、その行末を見守りたくもなっていったのだ。

しかし最終作にして、その悩めるイーサンは、どこかに吹き飛んでいってしまった印象だ。
彼が「名も知らぬ人々にとって、確実に光となっている」という話は、イーサンの仲間の口から語られるし、またなんと敵役のガブリエルによって「仲間を守るのがイーサンという男だ」とまで語られる(当然これは、ある種、ガブリエルの皮肉として、であるのだが)。
つまりこれは内省ではなく、イーサンの周りの人々が、よってたかってイーサンの価値を確立し、彼の悩みを勝手に解決しようと躍起になっているような印象だ。
苦悩する本人以外が勝手に結論を出すような展開では、観ているものの胸に響くなど生まれない気がするのだ。

しかしなお、とにもかくにも、映画への愛情と、映画を愛する人々へ何かを届けようとする気持を原動力として、純粋なエンターテインメント作品に30年を捧げたその輝きに対しては、瑣末な映画1ファンとして、長らくお疲れ様でしたと頭を下げたい。
と言っていたりすると、また続きが製作されたりするのかな・・・まだまだ人気を保ったままの最中での終了だけに、あり得ない話ではないと思う。なんといっても、テーマ曲が鳴り始めるだけでワクワクするようなシリーズには、なかなかお目にかかれないですから。

3.4

コメント

タイトルとURLをコピーしました